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小話:デジタルアーカイヴという「趣味」

デジタルアーカイヴが趣味だ。

 

もう少し厳密に言うと、ウェブ上にある、様々な記事…CNNだったり、WIREDだったり、Gizmodoだったり、BuzzFeedだったり、そういうところの記事を、Evernoteへスクラップし、保存するのだ。

場合によっては整形したり、調整したり、写真位置を変更したりもする。しかし決してテキストに手は入れない。それは「ルール違反」だからだ。

出展も明記する…といっても、Evernoteは仕様上、オートで仕様を入れてくれるのだが。

 

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デジタルアーカイヴが趣味という人間は、何も自分だけではないだろう。オンラインアーカイブの類は今じゃネット上あちこちで見ることができるし、その内容や方向性も様々だ。自分のアーカイヴは、ほとんどが「自分が面白そうだと思ったもの」で締められている。当然だ、誰に見せるためのものでもないのだから、そうなっていくのは必然だろう。

 

アーカイヴの大本は、たいていはファボしたツイート経由で保存している。もとより、自分のクロールリソースのほとんどはTwitterだ。偏っていることは否定しないが、活動の場のほとんどがTwitterゆえにそうなるのも必然だろう。

他のSNSをやっていないからだというのもあるが、こればっかりは「生活の場をどこに根ざすか」という問題でもある。

 

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デジタルアーカイヴは重要だ。ネットが広大になるに従い、「該当の記事」を探すことの難易度も上昇する。記事タイトルから検索しようにも、類似物のヒットをかいくぐるのは至難の業だ。

消滅する記事もある。古いファボなどは、記事が消滅してしまうこともある。しかしアーカイブし、スクラップしていればそういったものは手元には残る。記事ソースはなくなってしまうが、情報ソースとしては提供ができる。

日々生命体のように進化するネットの世界において、情報を「とどめておく」ということの難易度は上がる一方である

 

デジタルのコンテンツが死んだ時、そのリソースはどこに行くのか、という話を時々聞く。キンドルなどの電子書籍、ブログなどのテキストサービス、SoundCloudなどの音楽サービス…。サービスの大本が死んでしまうとき、そこに蓄積されたコンテンツもまるごと死んでしまう。ゆえに、これらのデジタルコンテンツは将来の歴史において「空白」をつくることになる、とも言われている。

それだけに、個人の持つアーカイヴは重要だ。失われた歴史や、改ざんされた歴史の裏側を暴くのはそういった、個人のアーカイヴとなっていくだろう。

 

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しかし、アーカイヴしている場所がEvernoteである以上、これもまた、デジタルコンテンツであり、いずれは死する可能性がある。そうなった時、「歴史の残渣」は消滅してしまうだろう。かといってオフラインで保存するのは、編集の履歴が複雑化してしまったり、更新の際に劣化コピーが生まれてしまったりとアクシデントも多い。

 

だが、深く考える必要はないのかもしれない。所詮は個人のアーカイヴだ。文化的保存意味を持って行っているならまだしも、このアーカイヴは、個人の知識や興味というものをログとして残していく程度のことしか考えてはいない。その結果として、なにか重要な記録が残るとしたら、それは本当に「たまたま」だろう。

 

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こういったスクラップは、自分の過去を振り返るにはこれ以上ない手段だ。何に興味を持っていたのか、すぐにわかる。自分という歴史の積み重ねが、手に取るようにわかる。そしてまた、そこから新たな発見をすることも多い。さながら自分の歴史を垣間見るようなものだ。

だからこそ、アーカイヴという「趣味」は面白いのだ。